月兎社のモト
by calico5
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「奇跡の団地 阿佐ヶ谷住宅」。
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善福寺川緑地と続く緑ゆたかな阿佐ヶ谷住宅が建設された昭和33年当時の、日本住宅公団という組織で働くの設計士たちの自由闊達な仕事ぶりが魅力的な本です[amazon]
初代総裁は民間人の加納久朗氏。「彼の頭の上だけは、いつでもポッカリ青空がのぞいていた」―こんなふうに描写されるリーダーと、こんなふうに描写できちゃう部下の建築士・津端修一。この風通しのいいノンシャランぶりが、阿佐ヶ谷住宅のあの独特の解放感、田園的モダニズムに重ね合わされてゆきます。さらに加納氏を語る津端氏の言葉、「彼は、公団に働く者の生き甲斐を、その若い組織の隅々まで徹底させる不思議な能力をもっていたから、誰にも総裁と二人で公団を背負っていると、独特の使命感を錯覚させた。だから、若い組織は、生命力に溢れていた」。…今このタイミングで読むと、あまりにも眩しくて、なんだか泣けてきちゃうね。こんなふうな青春期をもった現代日本が、どうしてこのような、ひどいことになってしまったんだろうって。くーん。

個人が購入するには高価だったため、分譲とはいえ購入者の多くが会社で、東京銀行、旭化成など当時の一流企業が社宅として購入していたというのは初耳。個人的には製紙会社(北越製紙、本州製紙)が入っていたというのがツボでした(笑)。
そして阿佐ヶ谷住宅と言えば、なんと言っても赤いスレート屋根をのせたテラスハウスが点在する緑の小道。パブリック・ゾーンとプライベート・ガーデンが微妙に入れ込みながら、さらに鳥たちが善福寺緑地から運んでくる様々な植物の種が思わぬ芽吹きをもたらすという、計算だけでは作り得なかった、歳月と思い思いの人の手と、鳥たちの生活が生成させていく複雑な庭を準備した、津端氏らの設計思想が聞き書きされています。

自由であること。闊達であること。そんな場で全力で仕事をして、そんな場を人々のために創り出す―、今ほんとうにほしいのは、それが今だって可能だと、可能にしなければならないし、可能なのだと思える兆しなのではないかと、思ってしまう東電福島原発2号機開扉18億ベクレルも何だしてんのかなあの夜でした。
by calico5 | 2011-06-20 01:09 | 本・映画・展覧会
牛乳依存症のウロウロ。
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以前、ハムスターを飼ってたとき、指先に牛乳を一滴のせてなめさせるととても嬉しそうだった。けんど獣医さんにきいたら「ネズミにウシの乳のませてはイケマセン」と言われて停止。それとおなじで人間もあまりウシの乳を飲んではいけない…と、かねてから人に言われていたんだけれど、子どもの頃から大量の牛乳を飲んでいたのでなかなかやめられませんでした。牛乳きれるとカルシウム不足でイライラするし、濃い飲み物って他にないんだもーん。
それで豆乳をすすめられましたが、あまり飲めずにいたとき、この牛乳瓶を描いたパッケージの豆乳をみつけて「なんじゃこのあからさまな偽装(笑)」と思って買ってみたら、かなりおいしかったのでした。やわらかい甘みととろりとした感触。はー、ほっとするぅ。…と思ったのもつかのま、大豆イソフラボンも摂取量に注意なんだね。飲み過ぎ注意…ぐっすん。
by calico5 | 2011-06-12 14:43 | いろいろ
村上春樹さんのスペインのカタルーニャ国際賞授賞式受賞スピーチ。
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大震災と津波でたくさんの方々が亡くなった3月11日から3回目の月命日の今日未明、村上春樹さんのスペインのカタルーニャ国際賞授賞式受賞スピーチ全文を読むことができました。

「しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。」
「しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。」
「我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。」
「最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。」
「しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。」

++
3か月たってもまだ何も歩みが始まっていないという無力感に覆われているのは、東電福島原発の事故が収束されない以上、われわれが対応しなくてはならない現実が、福島県伊達市の小中学生が全員放射線計を配布されるような危険な状況であること、小出裕章先生が「今までと違う世界に生きる覚悟/いまや地球上すべてが福島の放射能で汚れている。事故を招いた日本という国は、汚染から逃れられないという覚悟を決めるしかない。」[LINK]という現実に放り込まれ、個々の決定が住民の、殊に子ども達の生命・健康な人生に関わるということ、つまりは倫理的な領域にいやおうなく追い込まれていることが隠蔽されているからであることを、このスピーチがはっきりさせてくれたと思う。
生命よりも経済を優先とすることを「現実的」と強弁し、個々の倫理的判断が、目の前にいるひとの生命・健康を左右することを認めない限り、日本は衰退していくしかないでしょう。政治家、官僚、自治体職員、学校や幼稚園の先生方、メディアに関わる人々に、じぶんの人としての倫理観をかけて行動していただきたいです。お願いしますー。そしてわれわれは、そういうふうに行動してくれた人に敬意を表し、バックアップしなければならないと思う。

+++
 「非現実的な夢想家として」抜粋(全文は[LINK]

 今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。

 でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。

 ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。

 僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。

 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。

 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

 我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。

 日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

 しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。

 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。

 何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

 理由は簡単です。「効率」です。

 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

 そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

 そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。

 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

 ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。

 「大統領、私の両手は血にまみれています」

 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」

 しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。

 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

 前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。

 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

 最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。

 カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。

 日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。
by calico5 | 2011-06-11 12:54 | いろいろ
多年草。
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去年植えた多年草が冬を越して咲いてるのに気付くと、すっごく嬉しい。しかし名前を忘れてしまった(笑)。なんだか人工的なブルーに惹かれて植えた記憶アリ。
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シロツメクサも咲いてます。ずくなしでどうせ枯らせてしまうからと、一年草ばかりだった月兎社ベランダも、ヤマブドウ、バラなどただいま多年率30%ほどまであがってきました。とくにヤマブドウは春一番の芽吹きのみずみずしさ、夏のあかるい緑、晩秋の紅葉・黄葉まで楽しめて、ベランダーにはげしくおすすめです。
by calico5 | 2011-06-11 11:18 | どんぐり・キノコ・ニワ
猫あたまの幼虫さん。
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かなりムシ苦手ですが、楽しく読みました。 鈴木海花さん 「虫目で歩けば」[amazon]
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そんでもって目が釘付けになってしまったのはこのヒト!「猫顔の幼虫は、だれ?」p.9。いったいこの猫お面にどんな効果が?食べようとして寄ってきた鳥が「猫にゃん、カワエエ!」って…なるわけなかろう!ほんとに不思議だ。
by calico5 | 2011-06-09 11:51 | 本・映画・展覧会
糸の向きまで。
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「ミナペルホネン?」[amazon]とてもおもしろかった!昨年の青山スパイラルでの回顧展の時、「同じ<指定>でも、印刷の指定とはぜんぜんチガ~ウ!」と興味津々だった皆川明さんのテキスタイル指定がふんだんに収録されています。印刷指定とテキスタイルの指定がちがいって何だろう?…印刷の指定は所詮は「複製」の指定であるのに対して、テキスタイルの指定は、その指定の意図するところを、デザイナーと織りや染色の現場のひとたちが、互いの技術と経験を縒り合わせて、形にしていく「創造的」指定だから?
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水玉のひとつひとつさえ、織りの方向を変えるように指定されていて、それが全体としての揺らぎをうみだすという…。「既製服でありながら、パーソナルな愛着をもてる服がつくれたら」という言葉に共感。
by calico5 | 2011-06-08 15:09 | 本・映画・展覧会