映画「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」
[LINK]を観てきました。ダーガーの絵を不思議な速度でうごかしたアニメーションがダーガーのみている夢のよう。生涯の友がひとりいたことや、家主のラーナー夫妻ほかアパートメントのひとたちがみんなダーガーのめんどうをよくみてくれる親切なひとたちだったことに、なんだかほっとした。…で、あらたなる謎とは、晩年のダーガーが絵につかう印刷物といっしょに蒐めていたという「糸玉」。麻糸のようなひもが毛糸玉のようにまるく巻かれたものが部屋にいっぱい残されていたのが、今日になってみょうに気になってきた。ダーガーのノートに「糸がからまると気が狂いそうになる」とあったから、じぶんで巻いていたのだろうか?何のために?ダーガーは糸玉のいったい何に惹かれていたんだろう?
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ニコラ・フィリベール「動物、動物たち」
[LINK]もハシゴ。これは19世紀にたいへんな熱意をもって蒐集・展示されたパリ自然史博物館の膨大な剥製群を、数十年間しまい込まれていたのち再展示するプロジェクトのドキュメント映画。剥製修復の職人さんたちや展示を構成する研究者たちが確信をもって淡々と作業をすすめていくさまが、のどかで静かで、まったりと観て楽しかったです。…とはいえ映画全編に、古くなってオブジェ化した動物の死体を職人さんたちが淡々とあつかってくことの可笑しさがただよってて(セイウチの皮を着物みたいにじょうずにたたんじゃう手腕とか)、剥製文化ってナンナンダという巨大な疑問符が。…動物を死物として好きに扱う傲慢さがあるのか、造化としての動物の果てしなくゆたかなディテールへの(あるいはその創造主)への畏怖があるのか、ともかくヘンな文化!